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2012年 02月 03日
今朝は冷え込みました。 ベランダの温度計の最低気温はマイナス8℃。管区気象台ではマイナス7.4℃を記録。雪はサラサラになっていて、踏みしめるとキュッキュッという音がします。 私が仙台に住むようになって、これほど冷え込むのは初めてのような気がします。12月も1月も、平年よりずっと低温になりました。まるで小氷河期が始まったかのようです。もしそうであれば、あの温暖化というのは、そのちょっとした最後のあがきだったのかもしれません。長期予報では平年並みかやや暖かい冬になるということでしたから、記録的な低温と豪雪になるのは当然の帰結だったのでしょう。 夜には晴天になって放射冷却になりましたから、わが拙庭の発酵肥料にかけていた薄いブルーシートはそのままでしたが、内側には氷が貼りついていました。 下に敷いているシートを元のように拡げ、発酵肥料を攪拌しながらひろげていくと、湯気が立ち上りました。外気温がどうであっても、発酵の勢いは抑えられないようです。乳酸菌液をかけても乾燥が進まないので、納豆菌の勢いは止まらないのです。 ![]() 今日の最高気温は2℃の予想。これだけ晴れ上がると、乾燥が進んで納豆菌は温和しくなってくれそうです。雪解け水が入り込まないように、注意しなくては。 2012年 02月 02日
2月2日の朝。発酵肥料が雪に埋もれています。 ![]() 雪が止んだので、ブルーシートの上の雪を退け、できるだけ肥料に雪が入らないようにしましたが、またしても雪が降り出しました。 2012年 02月 01日
昨日、家人と遠方のスーパーに買い物に行こうと車を走らせると、車が加速しません。 バックミラーを見ると、左側後ろから白い煙のような湯気のようなものが排出されています。 これはまずいと思い、左に寄って路地に左折し、車を止めました。 リアの左側から焦げたような臭いがします。またやってしまいました。 ゆっくり走って車のディーラーに行き、調べてみると、サイドブレーキがかかったままになっているという診断。そこで修理してもらうことにしましたが、部品が仙台にないというので、取り寄せてから修理することになりました。 一昨年の秋にも同じ故障が発生して、危なく車両火災になるところでした。高額の修理代がかかったのに、またしても同じ故障です。 もう12年も乗っているので買い換えようと思っていたところでしたから、隣にある別のメーカーのディーラーに寄って、カタログをもらい、担当者と少しだけ商談を。秋になったら買い換えようと思っていたのですが、もう春には決断しょうと思ったのでした。 そのショックで打ちひしがれているところに、またショックなことが重なりました。 最低温度をチェックしようとベランダに出ると、最低気温はマイナス6.5℃を指しています。ふと、何やらあやしい感じがしましたので、庭に出て発酵肥料の中をのぞくと、湯気が出ています。臭いもするので、これはやばいと思い、雪のちらつく中で覆いのシートを取り、発酵肥料を拡げました。モウモウと湯気が立ちました。 残していた乳酸菌液1リットルを少し薄めて散布。何度も攪拌しましたが、湯気はなかなか収まりません。乳酸菌を投入しても、すぐには発酵が止まらないのですね。 きりがないので、肥料とのあいだに空間をつくるようにして、薄いブルーシートをかけました。雪が降っていなければそんなことをする必要はないのですが、晴れていても雪は西から流れて来るのです。 ![]() 少し時間を置いてから様子を見ると、湯気は収まっていて、肥料の温度も低下していました。 まったくのところ、油断ならないのが発酵肥料です。氷点下の気温の中で、肥料の温度も0℃ほどだったので安心していたのです。まさかこの温度で再発酵するとは、まったく思いも寄らないことでした。思いも寄らないことというのは、どのようなことにも発生するのですね。 幸いそれほどアンモニアの臭いは強くなかったので、家人の顰蹙を買うほどのことはありませんでした。 自分の気持ちを落ち着かせるために。 カール・オルフのハチャメチャな世俗カンタータ、「カルミナ・ブラーナ」から。 Lucia Popp "In Trutina" (天秤に) 天秤にかけてみた、理性とためらい、不安と傲慢、そして愛と貞淑を。 でも私は目に見えるものを選ぶ。首をくびきに縛ってみても、やはり愛に寝返ることでしょう。 2012年 01月 28日
宮城県南三陸町の防災対策庁舎から防災放送で町民に避難を呼びかけ続け、津波の犠牲になってしまった町職員の遠藤未希さんが、埼玉県の公立学校で道徳の教材に載ることになったというニュースがありました。 私は思わずエッという声を上げ、家人と顔を見合わせてしまいました。それは強い違和感を覚えたからでした。 あの大震災から1ヶ月以上たって遺体が海で発見された遠藤未希さんは、再三地元メディアで取り上げられましたから、被災地では広く知られた人でした。彼女は結婚して間もなかった(当初は結婚を控えていたと報道されました)ので、よけいに涙をさそったのです。 最後まで避難を呼びかけた遠藤未希さんは、今や「天使の声」となって、道徳の教材に載ることになりました。これは、あの大震災にまつわる「美談」のひとつだったものが、さらに上位の「美談」に昇格したことを意味しています。 「遠藤さんの使命感や責任感には素晴らしいものがある。人への思いやりや社会へ貢献する心を伝えたい」というのが道徳の教材になった理由とのことですが、私はそれを知って、戦前に国定修身教科書に載っていた木口小平の話に重なるのを感じたのでした。 キグチコヘイハ イサマシク イクサニデマシタ テキノ タマニ アタリマシタガ シンデモ ラッパヲクチカラ ハナシマセンデシタ 私は戦後の生まれですから、修身の教科書というものはもうありませんでした。しかし、軍国教育に貢献した日清戦争時のこの話は、戦争世代でない私も知っていたものでした。 三陸町の防災対策庁舎は、その建設当初から、建設場所をめぐって対立がありました。町役場から近い場所にするか、それとも安全な高台にすべきか。結局、町役場に近い場所に決まり、そこに建設されたという経緯があります。これが「失敗」の第一。大津波が押し寄せるまでそこに留まって避難を呼びかけ続けたというのは、第二の「失敗」でした。もちろんこれは遠藤未希さん個人の判断ではなく、一緒に居た町職員たちの判断でした。目の前に迫る大津波を見て職員たちは3階建ての屋上に駆け上がり、柵にしがみつきましたが、津波に押し流されてしまったのです。 この「失敗」の事例を埼玉県の教育委員会が「美談」に仕立て直すということの背後に、何か暗い落とし穴が存在しているような気がするのは、何故なのでしょうか。 岩手、宮城、福島の3県のNHKでは、相変わらず被災地関連のニュースを昼に放送しています。今はそのほとんどが復興関連やボランティア活動のニュースですが、その取材姿勢は「美談をさがせ」というところにあるような気がします。それはNHKに限らず、マスメディアすべてに共通する姿勢なのですが、そうした話を取材することで、復興の力にしようという意図のあることは私にも分かります。しかし、震災地に満ちあふれる美談の数々の背後には、美談を語る人も取材をする人も、それを見る人も気づいていない、何か得体の知れないものが潜んでいるような気が私にはするのです。 復興の槌音が聞こえてくるのはうれしいことです。さまざまな分野の人々が、それぞれの能力を発揮してボランティア活動に取り組み、復興の力になってくれているというのも、これはこれで感動的であり、価値ある行動にはちがいありません。しかし、感動的なことの背後には、しばしば見過ごしてしまいがちなこともあるのです。 物事というのは多面的に展開するものであり、感動的なこともあるけれど、悲惨なことも、重い課題を突きつけられることもあります。メディアは美談をさがしてはいるけれども、けして悲惨な現実から目を背けているわけではないし、これから取り組まなければならない課題をしっかりと把握している報道もあります。しかし、美談のなかには、どう見ても美談ではないものもあるのです。 遠藤未希さんを道徳教材にするということで、その「美談」の背後に、大きな陥穽が口を開けているように感じるのは、私がへそ曲がりのせいだけではないと思うのです。 2012年 01月 27日
寒さの底に入ってきました。 今朝は雪景色。今日の日中の最高気温はマイナス1.8℃。真冬日です。 ![]() 発酵肥料が雪をかぶっています。肥料を片側に寄せ、シートをめくって肥料に雪が入らないようにしておきました。 大雪になる地方では、戸外で発酵させることは不可能です。発酵肥料を仕込む時期はいちばん寒い季節がいいといっても、北海道のようなところでは、寒すぎて発酵しないのではないでしょうか。次回からは、12月中にできあがるように仕込もうと思います。 朝一番で近所の整形外科に行き、首痛のリハビリをしてきました。道路の雪も融けかかっていて、それほど寒いと感じなかったのですが、ベランダの温度計を見ると、マイナス2℃を指していました。でも、シベリアに抑留された兵隊さんのことを思うと、こんな寒さは何てことはありません。 こんな寒さでも、私の部屋は12℃もあります。暖房していませんから、毛布を下半身に巻いて、その中に湯たんぽを仕込んでいます。これだけでもう極楽極楽。 2012年 01月 25日
最近驚いたニュースに、原発事故を受けて政府が事故当日に「原子力災害対策本部」を設け、避難区域などを決定した際に、対策本部の議事録が作成されていなかったというものがありました。 これはNHKが議事録を請求したときに、その事実が明るみになったものですが、新聞などのメディアはこれを報道しなかったようです。このような重大なニュースを他のマスメディアが取り上げないということは、相当なレベルまでにジャーナリズムの質が劣化していることを証明するものであると、私は思います。 国の存亡にかかわるような大事故を受けて設けられた対策本部で、何が議論され、どういう決定がなされるに至ったのか、その議事録が作成されていなかったというのは、単に危機管理の問題だけでなく、国の歴史を記録しておくという観点からも、驚くべき失態であると思います。 中国には春秋戦国時代の昔から、君主の側には必ず史官がいて、君主の言動ばかりでなく、その一挙手一投足を記録していました。その記録は君主がのぞき見ることも赦されないというほど、厳格な制度だったのです。その記録を元に、孔子は『春秋』を著し、司馬遷は『史記』を書き上げたのでした。 その記録が今も残っているおかげで、現代に生きるわれわれも、さまざまな人間の真実を学び、歴史の意味するところを洞察できるようになったのです。 私は一時期、会社の部門会議で議事録を作成する仕事を担当していましたし、今もマンションの理事会で議事録を作成し、「理事会報告」という形にまとめる仕事をしています。 別に大きな会社でもなかったのですが、それでも会社の一部門の会議の内容を、経営トップや他部門の責任者に知らしめることは重要な仕事であって、会社の存亡に直接関わることはないにしても、会社を健全に維持していくためには必要な業務であると考えていました。 国会の本会議や委員会でも、必ず記録をとる複数の速記者がいて、不穏当発言などは記録から削除しておくように指示されることがあります。与野党の攻防が主たる国会論議に於いてもこのようにしっかりと記録がとられているのに、国としての決定がなされる緊急時の対策本部の議事録が作成されていないというのは、実に恐るべき事態であると言わざるを得ません。 私は想像してみました。会議の録音は必ず存在しているにちがいない。何らかの意図があって、議事録をあえて作成しなかった、あるいは、うっかりして作成していなかったことにしておこう。 議事録を作成する官僚を手配するのは、官房副長官の仕事になるのでしょうか。あまりの事態に気が動顛し、頭の中が真っ白になってしまったという意味合いのことを、福山哲郎氏が言っていたことがあります。対策本部に集まった閣僚達全員の頭の中が真っ白になっていて、記録するということがまったく念頭になかった、ということも大いに考えられることです。 公文書管理を担当する岡田副総理が「作られていなければ、議事録というわけにはいかないが、速やかに内容が分かる文書を作成するよう指示を出さなければならない」と発言したことは、もっともなことだと思うのです。 映画「オーケストラ!」 2012年 01月 24日
1月22日 朝27℃ 昼40℃ 攪拌 夕41℃ この日は水分の多い積雪が7センチ。これが解けてきて庭がグチャグチャになり、肥料にもこの雪解け水が少し浸み込んできたようです。昼に水を加えずに攪拌。水分が多すぎて隅のほうには黒い菌も発生しています。場所によって温度のムラがあります。低いところは28℃。甘い匂いはしなくなりましたが、香ばしい匂いもしていません。肥料の上に直接藁コモが触れるようにかぶせておきました。いよいよ発酵が佳境に入ってきたようです。 1月23日 朝35℃ 昼29℃ 攪拌 夕49℃ 夜36℃ まだ香ばしいアミノ酸の匂いはしていません。温度も下降ぎみで、コロコロとした塊にはまだ綿毛状の菌糸体コロニーが形成されています。中には黄色の菌糸も見えます。菌糸体コロニーの形成は発酵の第一段階が終了しつつあるということになるようです。攪拌の後、夕刻には急に温度が上昇してきましたが、夜になるとまた温度は低下。 1月24日 朝37℃ 昼47℃ 乳酸菌液散布 朝の温度は昨夜と変化はありません。昼になって温度計を抜いて見ると、47℃に上昇しています。 昨日は塊を山の上に集めておいたのですが、藁コモをめくると、白い菌が発生しています。しかし少々弱々しい感じです。 ![]() 塊を割ってみると、それまでは白い菌がビッシリだったのが、やや灰白色に変化しているようです。少し臭いを感じましたので、攪拌してみると香ばしいようなアミノ酸の臭いと、少々怪しげな、アンモニアのような臭いもかすかにあります。これは発酵の第二段階に入っているということで、今がその時期だと判断し、大きなブルーシートに肥料を移し、拡げてから3倍に希釈した乳酸菌液を3リットル散布。全体をまんべんなく混ぜ合わせ、乾かすべく拡げておきました。このときの気温は2℃ほど。冷たい風が吹いています。 ![]() 温度計でチェックしている範囲では、発酵中に50℃を越えることはありませんでした。これは肥料の量が少ないこと、吹きさらしの屋外に置いていたこと、空気が冷たいこと、納豆菌が暴走する前に乳酸菌液を散布したことによると思います。 この肥料をブルーシートに移したとき、酸度はpH6.8でした。乳酸菌液をかけて攪拌し、数時間経過してから測っても、酸度の変化はありませんでした。 2012年 01月 21日
19日の温度は38℃でしたが、翌20日の昼に温度計を見ると37℃を指していました。温度の上昇が止まり、表面にできた菌のコロニーはやや増えてきているようでしたので、仕込んでから1回目の切り返しをしました。 底に寒冷紗を敷いていますので、それを破らないように底からこそげるようにして剥がしていきます。上のほうはサラサラしていますが、底はすでに菌が回ってガッチリと固まっています。その塊を割ると、中まで白い菌がしっかりと入り込んでいます。それをざっと砕きながら、温湯を散布していきましたが、全体がしっとりするまでは6リットルも要しました。 肥料の複雑な臭いもしていますが、甘い匂いも混じっていますから、糖化作用が進んでいるようです。そこで、上にかぶせていた寒冷紗をはずし、藁コモが直接肥料に接するようにかぶせ、透明のビニール、ブルーシートをかけました。これで藁コモに付着している納豆菌が働き出すものと思います。 1月20日 昼37℃ 散水攪拌 甘い匂い有り 1月21日 朝28℃ 昼27℃ 散水攪拌 夕31℃ 散水して攪拌した直後の温度は下がるのですが、翌日にはまた上昇するというのが過去の経験でした。しかし、藁コモをめくると全体から湯気が立ち上ったものの、温度計を抜いて見ると28℃しかありません。肥料に手をあててみると、ホカホカしています。埋もれている塊は白い菌に覆われていませんが、周囲にころげ落ちて空気に触れている塊には、白い菌が発生しています。 ![]() 埋もれていた塊を割ってみると、中まで白い菌が入り込んでいます。この菌の結着力で塊ができているのです。 ![]() 今回はできるだけ長い時間をかけて糖化作用を進めたいという考えがありましたが、今のところ思惑通りに進行しているようです。甘いような匂いはしますが、まだアミノ酸の香ばしい匂いはしていません。 昼になってからまた温湯をかけて攪拌し、大きな塊は手で砕いておきました。油断するとアッという間にアンモニアが発生しますから、、寒冷紗をかけて藁コモをかぶせておきました。これからは日に何度も温度をチェックして、納豆菌の暴走をくい止めなくてはなりません。 今日は大寒。最低気温はさほどでもなかったのですが、昼になってやっと氷点下を脱しました。時折瀟々と細かい雪が降っていましたが、夕刻になるとみぞれに変わりました。 2012年 01月 19日
12月から1月にかけて、仙台では例年より寒い日が続いています。今は最も寒い時期よりもっと寒い日がつづいています。それでも昨日今日は少し暖かくなりました。 日陰の雪がいつまでも消えないので、わがマンション裏の菜園の落ち葉堆肥を切り返すことができません。土もガチガチに凍っています。落ち葉堆肥というのは1ヶ月に1回は切り返すことになっていますが、雪が消えて土の凍結がゆるんでから切り返してもいいでしょう。 2週間前に仕込んだ発酵肥料は、冷え切ったまま発酵をはじめる様子が見えません。もう潮時と思い、2リットルのペットボトルに60℃の温湯を入れて、発酵肥料の中に埋め込みました。その前に温度計を抜くと6℃に上がっていました。それまでは2℃ほどでしたから、発酵がはじまりかけていたのでしょうか。 今までは熱湯をペットボトルに入れて埋め込んでいましたが、そうすると納豆菌を目覚めさせてしまいそうですので、今回は温湯でやさしく加温していくことにしました。 最初にペットボトルを埋めた翌日には、温度計が10℃を指しました。ペットボトルを取り出し、それにまた60℃の温湯を入れ替えて埋めておきました。微生物は生きていますので、ご機嫌を損ねないように、やさしく扱ってやります。 翌日になると中心部の温度は28℃に上昇。ペットボトルを取り出して、そのまま肥料を均しておきました。 1月2日 発酵肥料を仕込む 1月16日 10℃(60℃の温湯ペットボトル) 1月17日 28℃(60℃の温湯ペットボトル) 1月18日 36℃ 1月19日 38℃ 糸状菌のコロニーが出現 ![]() 19日になると、中心部の温度は少ししか上がっていませんが、表面が温かくなっていました。湯気が出ているらしく、藁コモが濡れています。藁コモの上に園芸用ビニールをかぶせていますが、それにも水滴がたくさんついています。 肥料の表面のあちこちにうっすらと白い菌糸のコロニーができています。肥料の表面を触ってみると、スポンジ状になっています。菌が材料のあいだに張り巡らされてきたのでしょう。 2012年 01月 15日
去年いただいた小さな苗のサクラソウ数株を浅い駄温鉢に植えましたが、寒くなってからは出窓に移しておきました。 窓のすぐそばですから、夜には冷気に包まれます。この冬は例年より寒い日が多いのですが、時々施肥しているうちに段々と大きくなり、1株からついに花を咲かせました。散形状の花穂の外側から順に開花していくのですが、葉の下をよく見ると、脇からも花穂が出はじめています。最初に咲いた花もなかなかしおれないので、長いあいだ咲きつづけるようです。 ![]() このサクラソウを私にくれた人はまことに熱心な山野草愛好家で、数々の山野草を実生で育てています。私なんぞはいいかげんなもので、夏越しのできない山野草はすぐに諦めてしまいます。 春に買ってきた山野草で、無事に夏を越してくれたものはどれだけあるでしょうか。オダマキのたぐいや、オキナグサぐらいではないでしょうか。オキナグサも、日本以外のものでは、紫花西洋オキナグサだけです。この春には拙庭の花壇とマンション裏の花壇のオキナグサが花をいくつか咲かせてくれそうです。去年の花後に採ったタネから育てたものですから、今年は半分も咲いてくれたら大成功。 去年はあの大震災の影響で、山野草はほとんど入荷しなかったと聞きます。今年は例年通り園芸店にならぶのでしょうか。 2012年 01月 14日
わがマンション環境整備有志の会は、忘年会で決議したとおり、14日に餅つき大会を催しました。 不首尾があってはいけないというので、前日にリハーサルを実施し、のし餅をつくっておきました。 当日の参加は大人26人、子供11人。実施案内を掲示板に貼って、広く参加者を募ったのです。もちろん子供は参加費無料。 最初は大人が餅を搗き、2回目は子供にも搗いてもらいました。 ![]() 用意したのはお雑煮、お汁粉、そしてきなこ餅、納豆餅、小エビをつかったエビ餅です。前日につくったのし餅は切ってあり、それを備長炭で焼くのは私の担当です。はかまをのせても火力が強いので、つい焦げてしまいますが、これがかえって好評。香ばしくて雑煮に入れてもお汁粉に入れてもおいしいというのです。 ![]() この催しには新顔もちらほら。 ![]() 私と副理事長の学者氏とで管理規約の集会室使用細則を改め、大いに利用しやすくしました。煮炊きから飲酒まで、ほとんど何でもOK。ダメなのは迷惑行為だけ。あの大震災のときは出火して、消火の水がこの集会室まで落ちてきて水浸しになりました。今はもう亀裂も壁紙も天井板も新しくなり、何事もなかったかのようです。 打ち上げの反省会では、当然のことながら、今度は何をしようかという話に。 2012年 01月 12日
雑誌『世界』の別冊、「破局の後を生きる」が1ヶ月前に発売されました。 この別冊には、被災者の手記ばかりでなく、被災地のジャーナリストや有識者、専門家の論考もあって、特段目新しいものはなかったのですが、それなりに考えさせられるものもありました。 東北地方のNHKでは、正午のニュースが終わると、連続テレビ小説がはじまるまで被災地関連のニュースが放送されます。そうして震災津波時の行動を振り返り、復興の様子をたどります。それを見ているだけで、こうした危急時に人はどう考え、どう行動するものであるかということが見えてきます。 巨大地震の直後、ラジオは三陸沿岸に3メートルという津波警報を出していました。それを聞いて大した津波ではないと判断し、家の片づけをしたり海岸に様子を見に行ったりして命を落としたという人もたくさんいたのです。また、ハザードマップを信頼し、自治体が指定した避難所にたどり着いたものの、そこで津波に呑まれてしまったという人も少なくありません。そして何より多くの人命を奪ったのは、ここまでは津波は来ないから大丈夫と言って避難しなかった人、津波が来てもたいしたことはないと思いこんで動かなかった人が多かったということでした。一旦避難しておきながら忘れ物を取りに家に戻った人、外出中で家の家族が心配になって戻った人たちも津波に呑まれてしまいました。 こうした実態から帰納されることは、すべての情報、すべての予断、すべての思い込みは、信頼してはならないということでした。まず自分の頭を空っぽにし、自分で情況を判断し、自分で決断し、自分ですぐに行動に移さなければ命を守れないということでした。それができない人は、命を落としてしまうということなのです。 すばやい行動を起こすためには、ふだんから避難訓練をしておくことは大事でしょう。それもただマニュアルに従って訓練するというのではなく、マニュアルにないことを考えて訓練するということが大事になるでしょう。他から与えられた手順に従ってではなく、本当に避難先はここで大丈夫なのか、ここが危なかったらどこに行くか、このルートですばやく行けるのか、ここがダメだったら他にルートはあるのか、事前にそう考えておくことは、自分の命を救うことなのです。 別冊「破局の後を生きる」で紹介されていたのが、鹿児島県東桜島小学校にある桜島爆発記念碑の碑文でした。 近年で最も壮絶だった大正の噴火では、噴火に先行して頻繁に地震が起きていました。村長が何度も鹿児島測候所に問い合わせたが、噴火はしないという答えを得ていたのです。ところが噴火が始まり、翌日には大噴火となってしまったのです。このいきさつを記したのがこの碑文でした。 櫻島爆發記念碑 大正三年一月十二日櫻島ノ爆發ハ安永八年以來ノ大惨禍ニシテ全島猛火ニ包マレ火石落下シ降灰天地ヲ覆ヒ光景惨憺ヲ極メ部落ヲ全滅セシメ百四十人ノ死傷者ヲ出セリ 其爆發ノ数日前ヨリ地震頻發シ嶽上ハ多少崩壊ヲ認メラレ海岸ニハ熱湯湧沸シ旧噴火口ヨリハ白煙ヲ揚ル等刻々容易ナラサル現象ナリシヲ以テ村長ハ数回測候所ニ判定ヲ求メシモ櫻島ニハ噴火ナシヲ答フ 故ニ村長ハ残留ノ住民ニ狼狽シテ避難スルニ及ハスト論達セシカ間モナク大爆發シテ測候所ヲ信頼セシ知識階級ノ人却テ災ニ投シ漂流中山下収入役大山書記ノ如キハ終ニ悲惨ナル殉職ノ最後ヲ遂ケルニ至レリ 本島ノ爆發ハ古來歴史ニ照ラシ後日復亦免セラルハ必然ノコトナルヘシ 住民ハ理論ニ信頼セス 異変ヲ認知スル時ハ未然ニ避難ノ用意尤モ肝要トシ平素勤倹産ヲ治メ何時変災ニ遭フモ路頭ニ迷ハサル覚悟ナカルヘカラス 茲ニ碑ヲ建テ以テ記念トス 大正十三年一月 東櫻島村 「地震を恐れて独自に避難を始めていた住民に対して、「測候所を信頼せし知識階級の人かえって災いに投し」と書かれ、続いて「住民ハ理論ニ信頼セス」とある。住民は理論、つまり科学的予測を信じるな、ということだ」と、この筆者は書いています。 何度も書いていることですが、火山や地震や津波などの災害に係わらず、どのような情報も、まず疑ってみるということが肝要です。そうして自分で考え、自分で判断することが大事なのです。その判断がまちがっていたとすれば、命を落とすということもあります。災害時ばかりでなく、とっさの状況判断というのは何時いかなるときでも、迫られることがあるのです。 2012年 01月 10日
毎日のように家人とウォーキングをしていると、同じ道を歩いていることに飽きてきます。 コースは主に2つあって、その2つのコースを歩くにも、ヴァリエーションを用意して少しでも変化をもたせるようにしています。 最近はそれでもおもしろさがなくなってきて、今日は新しいコースを開拓しようという気持ちになりました。 Googleの地図でコースをあらかた決め、通ったことのない道は、ストリートビューで確認しながらなぞっていきます。仙台市の道路はかなりの範囲がこのストリートビューで見ることができるようになりました。まったく、驚くばかりです。ここの角にはこういう家があって、ここを目印にして右折する。実際にビューで見たとおりの家があると、びっくりするくらいです。地図を持って歩くのではありませんから、こうした目印を頼りない頭に叩き込んで歩くのですが、今日は迷うことなく、1時間ほどで帰ってくることができました。 途中、断層のある場所で、何件もの家が撤去されて更地になっていたり、まだ全壊のまま残っている家があったりして、震災の傷跡を見せつけられました。道路も損傷していますから、何カ所も工事中の場所があって、誘導員と挨拶を交わしながら通り過ぎて来ました。 今、私の手元には、「分譲マンションの被災状況に関するアンケート調査結果」というものがあります。 これは「マンション管理支援ネットワークせんだい・みやぎ事務局」が宮城県全域のマンション管理組合に送付したアンケート調査の結果報告です。数的には圧倒的に仙台市のマンションが占めていることになります。有効配布数1,372、有効回答数227ですから、回収率はよくありません。 調査の目的は、震災による被害状況とマンション管理組合として実施した対処方法について、その実態と問題点を把握して、今後の分譲マンションに係わる管理組合運営に反映させ、また、被災したマンションの支援に役立てることでしたから、わがマンションの管理組合もアンケートに協力したのでした。 有効回答が少なかったので、この調査結果から本当の実態を把握することはむずかしいと思います。被害が大きすぎてアンケートどころではないというところもあったでしょう。 ひと通り目を通してみると、震災後、住民が挨拶をし合うようになった、コミュニケーションがとれるようになった、住民同士の絆が深まった、集会や行事への参加が増えた、というプラスの効果が印象的です。 地震保険に入っていなかった、損傷が部屋ごとに違うのでどう補修を進めるべきか分からない、業者の手配ができず補修の見通しが立たない、補修費用が足りない、などの呆然としている実態もあります。 数的には知りませんが、仙台市の分譲マンションには全壊してしまったものも少なくないはず。これは更地にするにも建て替えるにも大変なことで、深刻な問題です。原発事故による避難が第一。津波による住宅の喪失が第二。それに次ぐ深刻さではないでしょうか。断層の上にあった全壊家屋などは、土地の資産価値も無くなったに等しいもので、これも深刻なものでした。 それにくらべると、私の住むマンションは、火災は発生したものの、運がよかったとしか言いようがありません。生きるということは、かくも運というものに左右されるものなのでしょうか。「自己責任」という言葉が、いかに虚しく聞こえるか。 2012年 01月 09日
NHKの大河ドラマ「平清盛」がはじまりました。 私はNHKの大河ドラマはほとんど見ませんが、奢れる者の代表格であるこの人物を主人公にしているので、興味は半分ながら、まずは見てみることにしました。 平清盛出生の由来の真偽はともかくとして、あの時代の社会的、政治的破局は彼に挑戦をしかけてきますが、彼はその創造性をたくましく発揮しながら応戦していくという形で物語が展開していくようです。 盛者は必衰するという考え方は、けして東洋だけのものではありませんでした。それが人間一般について言える真実であるならば、西洋においても同じ考え方、洞察というものが存在するのは当然です。 私が最初にその考えに遭遇したのはモンテーニュの『エセー(随想録)』で、奢れる者、栄華をきわめた者が必ず衰退していくのは、「神が嫉妬する」からであるという記述でした。 盛者が必衰するのは「神々の嫉妬」にあるという観念は、ヘレニック社会(古代ギリシャから東ローマ帝国に至るヘレニズム文明)がすでに持っていたものであって、それは古代ギリシャの歴史家、ヘロドトスがすでに『歴史』において記述していたことであると、英国の歴史家、アーノルド・トインビーの『歴史の研究』に書かれています。 「小さな動物は決して神を苛立たせることがないのに、仲間にまさる動物たちを神は雷電で打ち、彼らが自分の力を誇示するのを許さない。また神は常にその雷電の矢を最も高い家と高い木に向ける。神は同類のものに優る一切のものを短く切りたがる。こうして、たとえば神が嫉妬のあまり恐慌もしくは雷電を送る時、大軍が小勢の軍隊によって打ち破られる。この時、大軍は亡び、その末路は最初の状態に似ても似つかぬものになる。神は神自身以外の何ものにも誇ることを許さないのである」 「人生とは全くみじめなものなので、死はそれからの有り難い脱出になる。神が人生70年の間に与え給う一切のものは、目前に見えつつ手の届かない甘美な味わいである。そしてそれは神の本性の嫉妬深さを証明している」 しかしこの「神々の嫉妬」という観念は、ヘロドトスが最初に洞察したものではありませんでした。人間事象における作因としての「神々の嫉妬」は、未開人の神話の「中心思想」のひとつであり、あらゆる時と所における未開人の迷信の主要な関心事のひとつだったのです。この観念は未開人にはじまり、ヘレニズム文明を経て、16世紀のモンテーニュに受け継がれたのでした。 同じような宇宙の働きについての洞察は、『老子』の中にも見出されるとトインビーは指摘しています。 器に水をいっぱいに盛って、こぼすまいと心配しながら持っているくらい愚かな話はない。いっぱいになる前に盛るのをやめる方が良い。鋒刄を鍛えて鋭くするにしても、余り鋭利にすれば折れたり刃こぼれしたりして、長く保つことが出来ない。必要な度合いを考えて、鋭さも控え目にすべきである。黄金・宝玉を堂にまで溢れるほど蔵したら、どうしてそれを守りきることが出来よう。富貴であるからとて驕った振る舞いをすれば、自然に他人から咎めを受けるような結果になる。功成り名遂げた後、その栄誉の地位から身を退ける謙譲な態度こそ、天の道にかなった振る舞いである。(新釈漢文体系『老子』運夷第九通釈) つまだちする者は長く立っていることは出来ないし、大またにまたいで歩く者は遠くまで行くことが出来ない。自分からあらわそうとする者は、人々にそれを明らかに知られることがなく、自分から己を善しとする者はその善があきらかに認められず、自分からほこる者はその業績を認められず、自分からその才能をほこる者は首長とせられない。このように無理なやり方は、道の立場から見れば無駄で余計なものである。すべてのものがいつもそういうことを嫌悪する。だから、有道者は決してそういうところ(余食贅行を指す)に身を置かない。(『老子』苦恩第二十四) トインビーは、破滅の原因を神に帰するのは神を冒涜するものであると述べます。それは神の行為なのではなく、自らの行為が破滅を導くのであると断言します。 「一つのことを達成した暁に創造的な人間が陥りがちな受動的な錯誤は・・・・嘗ての努力によって「末長く幸福に暮らす」資格を得ていると夢想する愚者の楽園で「漕ぐ手を休める」ことである」と言い、それはあたかも、「正しく稼いだ一日の賃金が未来に対する無期限で尽きることのない手形に変えられるかのよう」に思い込むことにあると言います。昨日の戦いの勝利者は、この前の挑戦に対する応戦の成功が結局平衡を覆して新しい挑戦を呼び起こし、運命が彼に送る嵐を乗り越えるためにこの前非常に役に立った運動を機械的に繰り返さなければならないと考えがちであり、環境に支配される発育を停止した個人もしくは発育停止文明の態度に陥ることは明かであるから、環境が変化し始めるや否やこの態度は災いを招く、ということになるのです。 特殊化することで応戦に成功した嘗ての創造者の運命は、現代の生物学者の言葉で喩えられます。 「特殊化は一時的な繁栄を生み出すが、環境が変わる時、一つの種を絶滅させるか、もしくは少なくとも非常に不利な状態にさらす。気候の僅かな変化が、広大な地域にわたって森林を消滅させ、そしてそれと共に、その森林での生活に高度に適応している動物―栗鼠、啄木鳥、木を食べる甲虫など―の大部分を滅ぼす。われわれの祖先のように少数のものは新しい環境に適応する。しかし大部分は、そして高度に特殊化したものはすべて死に絶え、森林に比較的適応しなかったものが新たにこの地域に住むようになるのである」 特殊化するほど環境に適応した存在、つまり栄華をきわめ、奢り高ぶった者は、環境に適応しすぎた結果、環境が変化するときにはたいへん脆い存在となってしまうという、皮肉な結末を迎えます。最初は小さな爬虫類であったものが、環境に極度に適応し特殊化して巨大な恐竜になり、それが巨大隕石の衝突による激烈な環境変化によって絶滅し、それに代わって隠れるように生きてきた哺乳類が台頭、新しい環境に適応して進化し繁栄していった歴史も、それを例証しています。 かくて、「神々の嫉妬」も「盛者必衰のことはり」も、宇宙の摂理なのではなく、まさに人間自身にその原因があるのだ、ということになるのです。そうであるならば、時代の流れに乗れず、世の風潮になじんでいくことのできない人間は、裏返してみると、ある意味での強みというものを秘めていることになるのでしょうか。 『箴言』にあるように、「高ぶりは滅びにさきだち、誇る心は倒れにさきだつ」のであるならば、「立っていると思う者が倒れないように気をつける」には、成功するほどに戦々兢々として身を慎み、わずかな兆候の意味するものを洞察し、漕ぐ手を休めずに知力を尽くしてさらに応戦を続けていかなければならないわけですが、これはまことにもって困難な事業であると思わざるを得ません。 平清盛が武士台頭のさきがけであったことは確かですが、旧体制である貴族社会に組み込まれた形で「平家一門」が権勢をふるったのに対し、源頼朝は旧体制から独立して武士による支配体制を確立したのですから、真の意味での改革者でした。NHKは平清盛を「新しき時代を切り拓く人間」として位置づけ、派手な番組宣伝をしてきましたが、時代の挑戦に対する創造的応戦者となり、そうして環境に過剰に適応して「おごれる人」、「たけき者」となって特殊化していった人物と見るならば、あるいは別の目でこの大河ドラマを見ていくことができるかもしれません。 2012年 01月 05日
家人の長姉から長芋が届きました。長芋はおが屑に入っていました。 家人の次姉から養鶏場直送の卵が届きました。卵は籾殻に入っていました。 おが屑も籾殻も捨てるにはもったいないと思い、発酵させて菜園に撒こうと思いつきました。量は少ないのですが、籾殻の量に合わせて米糠も500g用意し、同量を合わせて土着菌培養液を染みこませ、発酵させてみました。おが屑は広葉樹なのか針葉樹なのか分かりませんが、匂いからして針葉樹のような気がします。 室内に置いたので数日して少し発熱し、匂いも出ましたが、切り返したのは1度だけです。水分が蒸散しているので、まだ少しは熱をもっていると思われます。 仕込んでから12日目。菌糸がこんもりしているところです。 ![]() 水滴のついている菌糸。黒い点々は胞子でしょうか。 ![]() 籾殻は少し黒ずんできているように見えます。今のところ発酵しているのは米糠だけでしょう。 食器用の水切りカゴに寒冷紗を敷いて、乾かないように軽くフタをしていますが、最初に出た匂いはもう消えています。 発酵はこの先どうなっていくのか分かりませんが、ほんのわずかの量なので、菜園に撒いても焼け石に水のようなもの。 2012年 01月 03日
発酵肥料を仕込む季節になりました。 去年は考えすぎたせいか失敗してしまいましたので、捲土重来、今年こそは成功をと、期するものがあります。 注意しなくてはならないものは納豆菌です。去年は発熱がはじまったと思ったら、あっという間にアンモニア臭くなり、その後もずっと臭さが抜けず、何をどうしてもそれが消えませんでした。ずっとアンモニアを放出し続けましたのですっかり肥効がなくなってしまい、バラに施肥しても効果がありませんでした。 昨日は風が強かったものの、気温が高めでしたので、午後のウォーキングが終わってから仕込みに入りました。 材料 油粕:9000g 魚粕粉末:5000g 蒸製骨粉:1000g バットグアノ:1000g 米糠:6000g 土着菌培養液20倍希釈:9リットル 合計で31キロの重さになりました。 発酵の最終段階で硫安を3000g、塩化カリを2400g、過リン酸石灰を800g加え、酵母菌液を混ぜ合わせます。 計算上のNPK比は 6.1:6.1:6.1 になります。 去年よりやや少なくしてみましたが、培養液を除くと全部で28.2キロになります。私が1年で使い切る量を考えたら、こんなもので十分でしょう。 土着菌培養液は去年の秋に船形山から採取してきた土着菌ハンペンを元ダネにして作ったものです。注意深く培養したものですから、いい結果を出してくれるものと思っています。 いつもなら積み込んだ材料の上に濡らした藁コモを直接かけるのですが、藁コモを今回は濡らさず、藁についている納豆菌を遠ざけるために、寒冷紗をあいだにはさんでみました。挿した温度計は7℃を示しています。 ![]() 今までは発酵肥料を作っていても、甘い匂いから香ばしいアミノ酸の匂いに変わり、十分に時間をかけてから納豆菌が活躍して高温になるというマニュアル通りの段階を経ることがありませんでした。仕込む量のせいなのかどうか分かりませんが、今年はどう進展していくか、自分のための備忘録として、観察していこうと思います。 2012年 01月 01日
あけましておめでとうございます。 今年もまた独断と偏見をもって、オレにも言わせろと言いたいことを言っていきたいと思いますので、よろしくおつきあいのほど、お願いいたします。 さて、仙台の元旦は、寒いながらも穏やかな日和になりました。 初ウォーキングということで、今日は伊達政宗の造営になる大崎八幡宮にコースを決めました。 元旦の午前というせいか、参拝に向かう車の渋滞もさほどでなく、参道の行列も少なめでした。 ![]() これは御社殿といわれる国宝の建築物です。ここで賽銭を入れ、鈴を鳴らしてさまざまなことを祈願いたします。 ![]() 大地震や大津波はもう来ませんようにと祈願すれば、今年はたぶんかなえられるでしょう。神仏は本来無責任ですから、あまり本気になってお願いしてはいけません。あれは自然が元に戻ろうとしただけのこと。人間はそのことをよくよく考えて、被害が少なくなるように対応しなくてはなりません。 参道の出店です。 ![]() 今年の三が日は例年並みの10万人の参拝客が見込まれているそうです。年々寂しくなっていくのは、着物姿の人が見られなくなっているせいでしょうか。 2011年 12月 29日
正月用の食材を買ってこようと、いつも図書館の帰りに足を伸ばすスーパーまで家人と行きました。 大晦日にはしんみりとすき焼きをしようと思い、その食材と、ありきたりのお節の材料をカゴに入れていきました。 鮮魚のコーナーに行くと、めずらしい魚があるではありませんか。トロ箱にたくさん入っている北海道産のカジカです。値段を見ると、1匹180円と表示してあります。かなり大きいのでまさかと思い、確認したらたしかにその値段。 仙台にはボッケという似た魚があり、この冬にいちどその鍋を作りました。でもこれほど大きくはありません。カジカは食べたことがないので、ゲテモノ好きの私は躊躇なく購入することに。 ![]() 帰ってから量ると、2キロ近くありました。さばいてみると、内蔵がしっかりしていて新鮮です。大きな卵も入っていました。こんなラッキーなことはめったにありません。 ![]() さばいた切り身は熱湯に通して下ごしらえをし、ニンジンと大根も下ゆでしてアクを取ります。ゴボウをささがきにして土鍋に敷き、大根とニンジン、マイタケを入れて水を足し、沸騰してきたところでカジカを入れます。そうして出てきたアクを丁寧にすくい、顆粒だしを加えてネギと春菊をのせ、味噌を溶いて沸騰したら完成です。 カジカ鍋はあまりにおいしく、みんなが鍋をつつくので「鍋壊し」と呼ばれているそうです。カジカの身は淡泊で、ややボッケと似ています。私はボッケ汁も鱈のじゃっぱ汁も同じように作りますが、今年は悪天候が続いたせいか、鱈が朝市になかなか出回りませんでした。鱈のじゃっぱ汁は大好物で、新鮮なキモとスケソウダラの白子が入っていれば、カジカ鍋よりはるかに美味だと私は思います。 ネットで調べてみたら、1キロのカジカ1匹が3000円で購入できるようです。2キロのカジカが180円だったのは、いったいどうしたわけなのでしょうか。 2011年 12月 22日
北朝鮮の金総書記が死去しました。 いつも疑問に思っていたこと。それは、彼が書記の仕事をしたことがあったのだろうか、ということです。 会議の内容を書き取り、それを議事録にまとめていたとは、ついぞ聞いたことがありません。ナニ、労働党トップの役職をそう呼ぶ習わしであったことは知っておりますが、深い意味は知りません。こんな低次元なことを思う私は、書記の仕事をしているからなのでした。 現役時代に、本社の会議で私は会議録をつくる仕事をしていたことがあります。これは会議を録音しておいて、あとでそれを文字にして各部署に配るのですが、過去に担当した人によっては、言ったことをそのまま文字にしていたこともありました。私はそういうやり方に疑問を感じ、話の内容を要約して、わかりやすいように要点をまとめて会議録を作ることにしたのですが、困ったこともありました。それは、話をまとめようとしても、いったい何を言おうとしているのか支離滅裂で、まとめようもない発言をする人がいたことでした。こういうときは、話したことをそのまま文字にするやり方のほうが楽です。 今はマンション管理組合の総務担当理事を仰せつかり、毎月理事会報告を作ることもしています。これは録音なしですから、各人が言うことをメモし、あとでまとめて会議の報告書をつくり、全戸に配ります。作ったあとには理事長に内容のチェックをお願いするのですが、細かい部分の訂正や加筆があり、または報告書に盛り込むのはまずいこともあって、初稿がなかなかすんなりとは通りません。くだんの総書記がそういう苦労を経験したことがないであろうことは明白ですが、そんな苦労よりはるかに大きな重圧があったことは、私でもよく分かっております。 私が要請を受けて理事に加わってから、もう4年ほどになります。もっと長くやっている人は理事長はじめ何人か居りますが、それは、ほかになり手がないからです。マンションに入居してしばらくは輪番制で理事が交代していきましたが、そうなると不適格の人が理事になることもあり、マンション管理に不行き届きが生じて、不都合な事態になっていることが後になって問題になることもありました。そういうことの反省から、適任者が適任の仕事を担当するほうがいいということになり、今のメンバーになって、すっかり固定してしまったのでした。 ここ数年、給排水設備のリニューアル工事や管理規約の改訂とその細則の制定、そして大震災による補修工事の手配とその工事進捗のチェックなど、月1回の理事会のほかに何度も会合を持つ、忙しい日々を送ってきました。 リタイアして暇になったはずの私が、報酬もないのにこんなに雑事に振り回されているのは何だか不思議な気もしていたのですが、それが今はもうすっかり落ち着き、1月末の理事会までは特にすることもありません。 先週の土曜日には、マンション環境整備有志の会の世話人でもある芋煮名人のH氏の提案で、有志の会の忘年会を行いました。来る者は拒まず、有志の会以外の人の参加もあり、すっかり盛り上がりました。 来年の植え付けはどうするか、土作りはどうしたらいいか、という話が出るかと思いきや、幹事の挨拶が終わると、もう飲めや歌えやで、何が何やら分からないまま、年明けには餅つきをしようという決議を採択。その道具の手配の仕方や、モチ米を蒸す段取りまで決まってしまいました。 わがマンションは一つの町内会を形成しているのですが、夏祭りに収穫祭、そして餅つきと、団塊世代の私たちは大いに余生を楽しもうとしているかのようです。 脳天気に生きることにした私は、年賀状もそれにふさわしく、「楽しいことだけを考えて生きよう」という表題に決めたのでした。 2011年 12月 21日
冬の無聊を少しでもと思い、マンション裏の花壇にこぼれ種で発芽しているムスクマロウを出窓に持ってくることにしました。 花壇の石垣のところに芽を出している小さな苗は、意外に深くごぼう根を張っており、ガチガチに凍結している土を掘って、石をもはずしてしまうちょっとした仕事になりました。今朝の最低気温は-4.5℃。 いちばん大きな育苗ポットを用意しましたが、根が長いので底に巻くようにしておさめ、ほとんどがフトミミズの糞からなる菜園の土を入れ、固形油粕を4個仕込みました。 ![]() 春までにうまく生長してくれたら、隣接する公園の花壇のどこかに植えてもらおうかと思っています。春には春夏の花、秋には秋冬の花を植え、まめに世話をしている町内会長さんも、植え替えのいらないムスクマロウなら、よろこんでくれるかもしれません。 |
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