人を傷つける言葉

中国古代の春秋時代に、宋という国があった。
魯という国と戦争をはじめたところ、魯の王である荘公が宋の大夫の南宮長万を矢で射とめ、生け捕りにしてしまった。
宋が長万を帰してほしいと願い出たので、魯は長万を宋に帰した。
すると宋の王である閔公は、彼をからかって、「以前、わたしはお前を尊敬したが、今は魯の囚人だ。わたしはもうもうお前を尊敬しませんぞ」と言ったので、長万はそれを気にやんだ。
その後、長万は閔公を殺し、公子のひとりを君に立てた。(『春秋左氏伝』荘公)

『春秋』は魯の史書で、孔子が制作したと言われている。それは編年体の簡素なもので、それを解説したものが、『左氏伝』、『公羊伝』、『穀梁伝』などと言われるものだ。

話のいきさつから、閔公のからかった言葉が長万を深く傷つけ、それが弑虐につながったものと私は受け取った。
大夫の地位にあり、閔公から尊敬されていた存在であったものが、魯の虜になって面目を潰してしまい、あげくに閔公からもう尊敬するのはやめたと言われ、出世の道が断たれたと思ってしまったのだろうか。栄達を求めるには、君主を殺し、気脈を通じた公子の一人を立て、ほかの公子を殺すしか方法はない。
礼のすたれてしまった乱世の時代の話である。

しかし、この話はいまひとつ腑に落ちないところがある。
『春秋』は、解説本によって、記述のちがっている箇所が少なくない。手元にあるのは『左氏伝』であって、『公羊伝』や『穀梁伝』にはどう書かれてあるのか分からない。家には『史記』の「世家」があるので、「宋微子世家第八」にある記述をさがしてみた。
そこでは、「閔公」が「湣公」になっている。
長万を帰してもらった翌年の秋、二人は狩猟にでかけ、そこで博奕をし、湣公が怒って長万を侮辱して言った。
「初め、わしはそちを尊敬していた。しかし今では、そちは魯の捕虜じゃないか」
長万はこの言葉を気に病んで、ついに博奕の盤をもって湣公を撲り殺した、と『史記』にはあった。司馬遷は、『左氏伝』ではなく、ほかのものをテキストにしたのだろうと思われる。

魯から帰してもらったときに発した深く傷つける言葉が君主を殺させたと受け取っていたものが、後日の博奕の際のトラブルだったということになると、事態は紛糾してくる。
いずれにしても、人を傷つける言葉のもたらす事態というのは、やっかいなものだ。家族間であれ、職場であれ、人間関係を損ねるのは、たいていの場合、人を傷つけるような言葉である。中国の古典に触れていて、こういったことも改めて思い知らされるのである。言葉には、くれぐれも気をつけなければならない。

ちなみに、長万は逆賊として追われる身になり、最後には塩漬けの刑に処せられたのでした。
Commented by sakae at 2009-02-24 22:01 x
じゃあオイラは10回くらい塩漬けの刑だな(笑
Commented by 一拙 at 2009-02-25 10:15 x
私は家族から、無神経だとよく言われます。
自戒の意味をこめて、言葉には気をつけたいものです。
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by 130atm | 2009-02-23 15:22 | 日常雑感 | Comments(2)

民草のつぶやき


by 一拙
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