蝴蝶の夢

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2011年 01月 08日

藩翰譜

本多佐渡守藤原正信は、豊後の国の住人、本多助秀の子孫である。
藤原正信は徳川家康がいくさを始めた日から、あちこちの戦いに従軍しなかったことは一度もなく、その識見人格を以て家康の信頼ひとかたならず、いつも側に伺候して、軍務、国務の相談にあずかった。
正信があるとき、嫡男、上野介(正純)に話したこと。
家康が浜松の城にいたとき、外様の侍を三人召し出して何かを命じることがあって、一同まかり出た。そのうちに、その一人が立ちどまって、懐中から封書を取り出して、自分で封を切ってさし上げた。
「それは何か」と仰せられると、
「これは私が年来おいさめ申したいと考えているところを書きつらねたものでございます。よいおりでありますから、奉る次第です」と申し上げた。
ことのほか機嫌がよくて、「そこで読んでみよ」と仰せられる。一条を読み終わるごとに、「言うことはもっともだ」と仰せられて、読み終わってのちに、
「自分をいさめることは、こんどに限るべきではない。今後も思うことがあったならば、遠慮しないがよい。おまえの志のほどは神妙の至りである」と感心して仰せられたので、その男は無上の喜びをいだいて退出した。
正信はそのとき家康の前にいたが、
「いまの言うたことをおまえはどのように聞いたか」と仰せられたので、
「ことがらはみな些末なことで、国家の重要事ではありません。殿様が用いられるようなことは一ヵ条もありませんでした」というと、手を振りながら、
「いやいや。あの男が知力の限りをつくして考えたことである。その知力が乏しいのはどうにもしようがない。ただ、彼が年来、機会があったならば自分をいさめようと思っていたことこそ、ありがたいことである。世の中の人は、自分で自分の過ちを知ることは多くない。もし過ちと知ったならば、だれが過ちを犯すものがあろう。よいことだと思いながら過ちを犯すからこそ、過ちということがあるのだ。身分の卑しいものは、親類、友だちなどが互いにいさめ争うことがあるから、過ちを知って改める。これは身分が卑しいことの一つの利益である。地位の高いものは、親類の交わりもうとくなり、まして友だちというものはない。朝夕、日夜自分の前に伺候する連中は、なんとしてでも主人の心にさからわないことばかり考えている。どうしてその過ちを直そうと思う暇があろうか。たとえめずらしくいさめようと思うものがあっても、その過ちの大きいことは言うかもしれないが、小さいことはさし控えるであろう。一般に小さい過ちが集まってこそ大きい過ちになるのである。過ちがすでに大きくなってからでは、どんなに後悔しても役に立たない。だから、自分が聞くほどのことは、みな耳にさからうことはなく、一生自分に過ちがあることを知らないで過ぎてしまう。これは身分の高いものの一つの損失である。昔から家を滅ぼし、国を失ったのは、みないましめを聞かないで、自分の過ちを知らなかったからではないか。そのことを思うと、たとえどんなにまちがったことであっても、自分をいましめることであったならば、みな忠言と思うべきである。」と仰せられた。

f0086944_2223153.jpg徳川時代の大学者新井白石の書いた『藩翰譜』十三巻は、後の六代将軍になる家宣、当時は甲府侯綱豊の下問に応じて撰進したもので、諸大名の家史をしるした史書である。
『藩翰譜』は徳川時代に作られた散文の傑作といわれ、井原西鶴のそれに匹敵すると評価されている。西鶴は町人世界のことは知り得ても、武士の世界を描くことはできなかった。新井白石はこの武士の世界、その論理や価値観を、『史記』の「世家」や「列伝」になぞらえて、テキスト・クリティック(批判)を加えて記述したのである。
正信に対する家康の言葉は、思いがけなく「ハインリッヒの法則」を想起させるものがあったので、長々と引用してみた。
原文の載ったものは図書館の館内利用に限られているので、『日本の古典21 新井白石・本居宣長』(河出書房新社)を借りてきたのだが、ここでは人間描写の文学としてすぐれたものを抜粋して現代語にしている。この条を読んだだけでも、甲斐はあったと思うのである。

(藩翰譜:はんかんぷ)

by 130atm | 2011-01-08 21:33 | その他 | Trackback | Comments(2)
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Commented by nodoka at 2011-01-10 14:03 x
あら!むつかし・・・(^^;)
 人それぞれ、得意分野があるという事は、判りました!
  昔の話も理解できると、面白そうですね!
時間が無くて、最近は、新聞も???状態です!
 もう少し、落ち着いた生活をしたいのが、現状です。
(何にでも手を出し過ぎかもっ!)
Commented by 一拙 at 2011-01-10 14:18 x
私の興味はあっちに飛び、こっちに戻り、まるで節操というものがありませんです。^^;
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