被災7日目
2011年 03月 17日
今日は家庭ゴミの収集があるというので、まず住人を10人ほど召集し、公園に置いてある震災ゴミのなかの家庭ごみをさがしました。中にはどさくさに紛れて捨てたものもありましたが、ほとんどはガラスや食器、壊れた小型家具ばかり。
こんどは皆でペットボトルや缶類を潰して嵩を減らしておきました。そうして、各階の廊下と内階段の細かい瓦礫の清掃をして散会。
午後にはゴミ収集車が来て、ゴミ集積所のコンテナに山積みされたゴミやはみだしたゴミ袋をすべて回収。
マンション管理組合と町内会名で、「プラゴミ、ペットボトル、缶類、瓶類は当分回収されませんので、各家庭で保管してください。生ゴミは今まで通りコンテナへ。」という告知物をつくり、掲示。
管理員に依頼されて、以前から告知などの文書は私が作成してきましたが、震災以後、まるで私は文書係になってしまったかのように、住人への告知はすべて私が作っています。問題はプリンタのトナーの残量がわずかなこと。今まで管理組合の理事会報告などはすべて私が作ってきましたから、トナー代は管理組合が出してくれることになりました。レーザープリンタのトナーは高いので、これはラッキー。
午前の作業の召集をかけるとき、私は意図して、日頃引きこもっていたり、活動に参加しようとしない人を引っ張り出しました。挨拶もまともにしなかった人たちが、拒否することなく参加してくれたのです。これは収穫でした。
菜園仲間のH氏は、車のガソリンが残り少ないので、噂を聞きつけて長命ヶ丘のスタンドまで給油しに行きました。ところが、給油待ちの車が7キロにも伸び、しかも給油があるのかどうかも分からないので、空しく帰ってきました。少ないガソリンを無駄に消費してしまったのです。
この真冬のような雪のなかで、スーパーに列をつくったり、灯油を求めて列んだりしたら、身体を壊しかねません。私のように、無いものは無いなりに、慌てず騒がず、じっとしているのが一番のようです。
我が家のテレビ
98年製のブラウン管のハイビジョンテレビをまだ使っています。地デジ地デジとうるさいので、DVDデッキを買ってそれをチューナーがわりにして地デジを見ていましたが、いよいよ画面が緑色になってきました。アナログが終了する前に買い換えたのでは、国策に屈したようで悔しいから、画面がカラーでなくなるまで買い換えないつもりでした。ところが、大地震でひっくり返ってから画面が何色かに色分けされるようになり、中央の人物の顔はまともでも、右の人の顔は紫色になっています。まるで、むかし白黒画面に3色のカラーパネルをかけたようで、それも一興かと思い、いったいこのテレビはいつまで保つのだろうかと、面白がっているところです。娘がこれを見たら、嘆くだろうナ。