宿痾

「(特定秘密保護法は)通っちゃったんで、言ってもしょうがないのではないかと思う。」
これは、NHKの会長が、就任会見で発言したとされる言葉です。

これは、決まってしまったものは、あとでとやかく言ってもはじまらないことである、というふうに解釈していいと思います。
特定秘密保護法は、今は法律として決まってしまったものではあるけれど、この法律を廃止することだって、できることなのです。国民にとって不都合な法律は、決まったあとでも、声を上げて廃止を叫べば、それは可能だということは、普通に考えたら分かることでしょう。

昭和のはじめ、軍部が力を増して、政治のコントロールが効かなくなったとき、統帥権の独立を錦の御旗にして、軍部が暴走をはじめました。
関東軍が軍中枢の承認を得ることなく満州事変を起こして中国東北部を占領したとき、本来ならば責任者を軍法会議にかけて処罰しなければならないのに、「やってしまったことは仕方がない」と、追認してしまったのでした。
かくて、「不拡大方針」を打ち出している軍中央の承認を受けることなく、謀略を演出して中国の各地に侵略を進めていき、泥沼状態に陥っていったのでした。

なぜ軍部が「追認」していかなければならなかったか。東京裁判を見て、丸山真男は『軍国主義者の精神形態』で分析しています。
「一つは、既成事実への屈服であり他の一つは権限への逃避である。・・・・既成事実への屈服とは何か。既に現実が形成せられたということがそれを結局において是認する根拠となることである。・・・・このような軍の縦の指導性の喪失が逆に横の関係においては自己の主張を貫く手段として利用された。陸軍大臣が閣議や御前会議などである処置に反対し、あるいはある処置の採用を迫る根拠はいつもきまって「それでは部内がおさまらいから」とか「それでは軍の統制を保障しえないから」ということであった。」
これを丸山は軍内部の「下克上」的傾向にあるとし、それを「抑圧委譲の楯の反面であり、抑圧委譲の病理現象である」と分析します。

「通ってしまったものは言ってもしょうがない」と考えるNHK会長の思考回路は、旧日本軍の宿痾ともいうべき「追認」の思考回路とどうちがっているのでしょうか。私には少しもちがっていないように思われます。決まってしまったものは仕方がないと考える。これは日本人に宿痾のごとく染みついた思考回路なのでしょうか。

一度口に出してしまったことは、取り消すことはできません。個人的見解だからという言い訳も通りません。社会的地位にある人というのは、公人も個人もないのです。国会に参考人招致された会長は、「私の個人的な意見、見解を放送に反映させることはない」とは言っているものの、過去のNHKの会長が人事や番組制作にどう影響力を行使したのか、「NHK会長 その政治的で不可解なるもの」(永田浩三  『世界』2014.2)を読むかぎりでは、それはかなり非現実的だろうと、思わずにはいられません。
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by 130atm | 2014-02-01 10:52 | 独断偏見録 | Comments(0)

民草のつぶやき


by 一拙
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