トタンの家
2015年 01月 14日
住宅地の狭い道を歩いていて、小さな川にかかっている橋を渡って振り返ったら、川の方に傾きかけている家に気づいた。
道路と川にはさまれたわずかばかりの地面に、しがみつくように建っている。
その家の前を何の気なしに通ったのだが、後ろがどうなっているのか、通ったときには眼中になかった。
あとでストリートビューで辿ってみると、その家は前が全面トタン張りだった。家屋が老朽化したから、せめて人の通る道路側はトタンで覆う必要があったのだろう。
驚くのは、こんな狭い道でもグーグルは撮影しているということだ。もう日本国中、車の入れる道という道はグーグルに撮り尽くされている。何かの用事で知らない場所に行くというときにはとても便利なツールではあるが、ここまでするか、という気持も生じてくる。
それは、スマホの便利さにも言えることだろう。私はいまだにガラケーだから、電話することと、メールをすること以外には使っていない。あるとき、何かのボタンを間違えて押してしまったらしく、画面に面倒なものが出てきて、なかなか消えなかったので、一気にリセットしてしまった。そうしたら、電話帳も何もかも消えてしまって困ったことがある。
私の娘たちは未だにガラケーを使っていることに呆れている。しかしスマホを使う必要を感じないし、替えてしまえば、毎月の料金は今より嵩んでしまう。便利になりすぎることで、失っていくものもあるだろうと思う。
「電通戦略十訓」というものがあるそうだ。それは「一、もっと使わせろ 二、捨てさせろ 三、無駄使いさせろ 四、季節を忘れさせろ 五、贈り物をさせろ 六、組み合わせで買わせろ 七、きっかけを投じろ 八、流行遅れにさせろ 九、気安く買わせろ 十、混乱をつくり出せ」というものである。自分が好んで選んでいると思っている生活が実はそうではない。知らぬ間に手玉にとられている。電通十訓の消費戦略の中で、まるであやつり人形のように生きている、というのである。あの大震災が起こり、そして原発事故が発生し、世の中は変わるかに見えた。しかし、何も変わらなかった。異次元の金融緩和、そして株価の高騰。何もかも忘れて、またしても経済成長の夢を見ている。
そのトタン家屋が気になっていたので、歩くコースを新しく考え、もういちどそこを通ってみることにした。
こういう家屋は、おもしろいというだけで撮っていいものだろうか、という気持もある。
電気のメーターを見ると動いているから、住んでいる人はいるのである。