「在日米軍」という名の占領軍
2018年 02月 23日
「米軍三沢基地所属のF16戦闘機が補助燃料タンク2個を小川原湖(青森県東北町)に投棄した問題で、小川原湖漁協が当面の全面禁漁を決め、影響拡大が懸念されている。小野寺五典防衛相は21日、日米地位協定に基づき補償する考えを示したが、禁漁がいつまで続くのか見通せないためだ。同漁協は同日、緊急会議を開き、早急な油の撤去や組合員への補償対応などを求めることを全会一致で決め、東北防衛局に要請した。」(毎日新聞 2018.2.22)
テレビのニュースを見ていたら、小川原湖漁協の組合長が、「米軍からは未だに謝罪がない。命をとる間際までやられました」と無念の涙を流している映像が映しだされた。
三沢基地の米軍の対応は沖縄の米軍と同じもので、この米軍の態度は、日米安保条約の基本的な性格に起因している。
サンフランシスコ講和条約とセットで結ばれた日米安保条約は、占領軍としての米軍がサ条約後も「在日米軍」と名を変えて、そのまま占領状態を継続することを容認する占領状態継続法である(内田雅敏「自衛権の根拠は何に求めうるか」 『世界』2018.3)、と言われるように、在日米軍というのは、米国が日本を引き続き占領するために置いているもので、実質的に「占領軍」と呼ぶべきものである。
だから、事故や不祥事が発生するたびに防衛大臣は「原因究明・再発防止」を強く申し入れているが、それはいわば抗議をしていると見せかける「ポーズ」であって、本気で抗議しているのではない。本気なのであれば、在日米軍の存続も政府は検討することになるだろう。かくて、小川原湖に落下した部品や油膜の処理を自衛隊がすることになったのである。これを屈辱と言わずに、何と言うのであろうか。米軍基地が無くならないかぎり、事故や不祥事が無くならないのは自明である。
小河原漁協組合長の悔し涙は、沖縄県民の涙と同質のものだ。米国に逆らえない現実は、日本国民すべてが悔し涙を流すべき現実なのである。
米国に対する隷従の態度は、外務省をはじめとする官僚や自民党に深く浸透しているもので、その強い空気は所与のものとして、あえて言挙げするまでもないことなのだろう。対米隷従外交といわれる所以である。
日本が米国に占領されているという現実は、首都圏上空の制空権が米軍に握られているということでも明らかだ。どこの国に、首都の上空が他国の軍の意のままになっているところがあるだろうか。
敗戦後70年。未だに日本が占領状態から解放されていないという現実は、不平等条約である「日米地位協定」でも明らかだ。その占領軍と日本の隷従の構図を見据えれば、多発する事故や不祥事の発生に対する米軍の態度が、よく理解できるではないか。
敗戦後100年たったら、この屈辱的な隷従の軛から解放されるときが来るのだろうか。