大腸癌よ、さようなら その2
2006年 08月 20日
意識が戻ると、病室には家族と看護師がいました。
鼻から管が咽の奥に差し込まれていて、酸素マスクがあてられていました。見るからに重病人!
管は胃液を吸い上げるものでした。これをしないと嘔吐したものが気管に入り、肺炎の合併症を起こしてしまうのだそうです。この管の存在は非常に苦しいものでした。
術後の家族に対する主治医の説明では、手術時間は予定より短く、輸血が必要なほどの出血もなくスムーズに終了したとのことでした。家族は摘出した大腸と病巣を見せられましたが、それをホルマリン漬けにして検査機関に送り、顕微鏡検査をするというのです。
翌日にはもう立ち上がるように言われましたので、まず腕力で何とか起きあがり、ベッドの端に坐りました。すると、坐っているだけでフラフラします。腹部の痛みをこらえて立ち上がると、今度は苦痛で脂汗が滲んできました。立っているだけのことなのに、腹筋と背筋を相当使っていることが分かりました。その日に自力で歩くことを求められましたが、歩くのは無理でした。
痛みは日に日に和らいできました。
食事は手術の2日前からなくなり、点滴だけで体力を維持。どこに行くにも点滴棒を押し歩く日がつづきました。
食事がとれなかった日は結局9日間で、10日目には流動食を少し食べ、次にお粥が3日間あって、その後は普通食になりました。体重は5キロも減っていたのですが、食事がとれるようになってから少し回復しました。でも、胸から肩にかけて脂肪がなくなっているのがはっきりと分かります。
病院食は100キロの人も40キロの人も同じ量で、1日あたりほぼ2000キロカロリー。痩せる道理です。家で食べていた量がいかに多かったか、よく分かりました。
看護師から毎日聞かれるのが、通じと小水の回数です。そして、ガスは出ているかということでした。ガスは腸の動きを判断する指標になるのです。
腹部の痛みで辛かったのは歯磨きをしたあとのうがいでした。これが意外と腹筋を使うのです。そして、咳やくしゃみをするにも一瞬間腹筋を使います。笑うときにも腹筋を使いますが、笑うことはありませんでした。
さて、顕微鏡検査の結果が来ました。幸いなことにきれいに病巣が摘出されていて、拡散や転移の痕跡はないということでした。これがあると、また点滴や薬剤の投与が必要になるのだそうです。
これで無罪放免。退院の許可が出ました。
退院したのは8月17日。術後17日目。入院してから24日目になります。退院数日前から痛みはほとんどなくなり、健常者のように生活をしていました。でも病院の中ですから、ストレッチングをしたり走ったりすることはまだできません。それは退院した今現在も同じ。徐々に身体を動かしていくつもりです。
私の入院したT病院は厚生労働省の指定する「がん診療連携拠点病院」ではありませんでしたが、進行した癌や難しい場所に発生した癌でないかぎりは、確実な手術と十分な治療が受けられます。
指定されている宮城県立がんセンターなどは患者が多すぎてベッドの空き待ちだということですから、医師と十分相談して、どこに入院するのがいいかを決めるといいと思います。内視鏡検査で病巣を見つけたT病院の医師は、自宅に近い病院がいいのではと最初言ってくれたのですが、T病院はJR1本で家族も通えますから、ここに決めたのでした。
比較的早期に発見できたからよかったものの、これが昔なら、私の寿命は60歳くらいで終わっていたことになります。これからは余生だと老け込むつもりはありませんが、少しは世の中が違って見えるということがあるのかもしれません。
こちらもほっとしています。
つまらないことを聞いて恐縮ですが、摘出した大腸とありますが、これは
一部ということですか? (ヘンな質問ですが後学のためにです。は)
話は変わり、うちは墓がいまだに仙台にあって今週出かけます。
仙台も暑いでしょうね。
kimiさんの所にも書き込んだのですが、私の父も6年前
下血で検査し、大腸癌が見つかりました。
それから、母と私が交代で看護しました。
後の経過は、ほどんど一拙 さんと一緒でルンパ節にも転移しておらず、
5年目を、昨年めでたく迎えました。
今から思うと、あの闘病生活は、遠い昔の様に思えたりもします。
父は、後 生かされた人生だから、(おまけみたいな人生だから)
人のためになる、また、母の為にもなる人生にしよう。
と思ったそうです。
日にちはすぐにたち、脳みその皺の一部になる日がすぐに来ます。
>これからは余生だと老け込むつもりはありませんが、少しは世の中が違って見えるということがあるのかもしれません。
そういう事で、とても、良い考え方だと思いました。
長々とスミマセン。
うっかりしてコメントを見落としていました。
大腸を切り取ったのは一部で、15センチほど。短いほうだったとのこと。小腸を引っ張り上げてつないだのです。
庭のカエルさん。コメントの返事がおくれてごめんなさい。
私は闘病したという感じはありませんでした。短い入院でしたので、カエルさんの父上のように殊勝な気持ちにはなっていません。^^;
それでもどこかには同じような気持ちがあるような気がします。