蝴蝶の夢

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2007年 04月 16日

イラク戦争支援は正しかったのか

テレビのバラエティ番組も政治を俎上にのせるものが増えてきている。
この手の番組は論議が平行線のまま決して交わらないというところに不毛があり、時間の無駄なので最近はあまり見ないようになってしまった。
ところが先日たまたまチャンネルをあちこち変えていたときに、NTVの『太田光の私が総理大臣になったら』の討論場面に出くわしたのである。

太田総理は、アメリカが誤った情報に基づいてイラク戦争を始めてしまったことを大統領が認めたのに、小泉前首相がアメリカに追随してしまった政策の誤りをなぜ認めないのかということを追求したのだが、防衛庁長官を務めた石破氏は、「それは結果論であって、あの時点の決断としては正しかった」と、小泉前首相の決断は間違っていなかったと強弁したのである。「結果的に間違っていた」というのは今だからこそ言えることであるという論法を聞いて、現役の政治家とはこの程度のレベルのものなのかという衝撃を、私は受けたのであった。

石破氏は、「政治というものは結果責任である」という政治学の常識をまるで御存知ないようだ。大臣経験者がこの程度なら、おそらく自民党のほとんどの議員の人達も御存知ないのであろう。私は政治学など知りもしないが、私のような政治の素人でもこの程度のことは本で読んで知っているのである。それとも彼は、議論の相手を見くびってこんな論法を展開したのだろうか。それとも、そんな理論は一部の政治学者の言っていることにすぎないとでもいうのだろうか。

石破氏の論理でいくならば、アジア太平洋戦争を企画し推し進めたいわゆる戦犯になった人たちの戦争責任という問題でも、あの時代の状況では正しい決断であったということになるのではないか。結果的に敗戦となり、戦犯として裁かれ、あの戦争を引き起こしたのは間違いであったという歴史認識も、それは結果論にすぎないという理屈になってしまうのである。

あの人たちも、お国のことを思ってやったのだから」という戦後よく聞かれた免責論が激しく論難されたのも、「政治は結果責任」という大原則があるからなのである。ドイツにおいてナチスが台頭してきたのも、当初は「お国のことを思った」からであり、それをドイツ国民が熱狂的に支持したからこそ政権を掌握できたのであった。お国のことを思うことが間違いなのではなく、それを行動に移す手段が間違ったのである。そして、ナチスの行っていった独裁への少しずつの改革をドイツ国民が見逃していった結果が、かつてない悲惨な現実を生んでしまったのだ。

政治家は、政策の結果に対して責任を負うものである。政策を立案行使できない野党の政治家ならいざ知らず、政権政党の閣僚であった者がこのような発言をしたことは、実に驚くべきことなのである。これはいわゆる失言ということではなく、彼等与党政治家の意識の裏にはいまだに帝国軍人の亡霊が潜んでいるということであり、それは丸山眞男が東京裁判で明らかにされたことから帝国軍人を評して言った「無責任の体系」そのものにほかならないのである。

今の政権政党の国会議員たちは、われわれ民草を愚民と看做し、その愚かな国民をどう誘導して票に結びつけるかといった研究を真剣に行っているように私には思われる。たとえば沖縄県知事選挙の応援に行った安倍首相の街頭演説での、「野党は文句ばかり言って、何をしてきたというのか」という言葉である。国会は立法府であるから、野党というものは、独自の法案を提出することはできても、与党の出す法案に反対したり、あるいは修正を迫ったりすることぐらいしかできないという現実がある。圧倒的多数の与党の採決に抵抗するのにも限界があるのである。「何もしない野党」という攻撃の仕方はフェアでないばかりか、聞く人を騙す論法だと言って間違いない。こうした、国民を愚民と看做しているとしか思われない発言を聞くたびに、われわれ民草はいつになったら愚民から脱却できるのだろうかと、慨嘆せずにはいられないのである。

by 130atm | 2007-04-16 17:05 | 独断偏見録 | Trackback | Comments(0)
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