それでいいのか

読みたい人に一巡したと見えて、図書館の『それでいいのか蕎麦打ち男』(残間里江子著)がやっと「貸出中」から「貸出できます」に変わった。

この本が出たときから、私の頭の中でいつも「それでいいのか」という言葉が頭をもたげてくるのには閉口した。
著者は何も蕎麦打ち男を誹謗しているのでも糾弾しているのでもない。団塊世代とはどういう世代であるのかを分析し、もっと元気になって欲しいと叱咤激励しているのであった。それは同じく団塊世代である著者自身に向けられた叫びでもある。

この本にある団塊世代の一般的な傾向は、私の性向と重なる部分もあるがそれは僅かなもので、ほとんどちがっているようである。私はビートルズに夢中にはならなかったし、長髪にもせず、吉田拓郎などのフォークソングも好きにならなかった。VANのようなファッションにも興味はなく、旅路の果てに自己変革を遂げた自分を夢見ることもなかった。たくさん列挙されるこうしたステレオタイプ的な団塊世代の特徴のうち、ほとんどは私には当てはまらないものばかりであることを、私がいかにへそ曲がりであったか、改めて再確認させられたということになる。

「蕎麦打ち男」と同列に挙げられたのが「陶芸男」と「NPO男」である。「陶芸男」はたいてい白州正子を入口にしているというし、「NPO男」は退職してからも肩書きを欲している表れであるという。
私は白州正子の本を読みかけたことはあるが、面白くないので途中で放棄した。退職してからのち自分の名刺をパソコンでつくろうとし、肩書きを「ただの人」にしようと思ったが、やめておいた。いかにもあざとい感じがしたからである。だから、真ん中に自分の名前、下に住所と電話番号、メルアドだけにした。しかし、外でのつきあいはめったにないから、名刺はまったく減らない。

残間氏は、ありがたいことに、団塊世代の性意識まで分析してくれている。
団塊世代は戦後民主主義を学校から教えられているが、家では戦前の教育観、価値観で育てられたので、結婚観はそこで決定づけられているという。なるほど私の友人達を見ても、離婚したという話はめったにないし、女性の離婚原因は夫側に大きな問題があったということを聞く。以前勤めていた会社の同僚などと話をした時、別に好きな女性ができれば離婚するだろうという具合で、家庭は家庭、不倫は不倫と器用に使い分けることのできない世代ではあるようだ。
そして性に対しては概して淡泊であるという。しかし、女性の場合はまだ新しい恋に出会いたいと思う比率が男より高いようである。私の場合について言うならば、若い時なら知らず、気持ちはなくもないがもう身体がついていかない、家庭は壊したくない、と優柔不断だ。この期に及んでの離婚など、まったく考えてもみないことなのである。
離婚しても年金の半額が受け取れるようになった今年から熟年離婚が増えてくるというが、これは新たな社会問題になるのかもしれない。食事の支度もできない60男が独りになったら、いったいどうなるのだろうか。

残間氏の言いたいのは「このまま朽ちるな!」であり、そのためにはとにかく「動け!」ということなのである。オシャレをするのもよし、移住もよし、オジサンバンドをやるもよし、ボランティアもよしというのである。
私の住むマンションはもう築20年になる。入居してきた当初はたくさんいた子ども達もすっかり社会人になり、お父さんたちは退職して、いったい毎日どうやって過ごしているのかよく分からないという人達が多い。私もきっと何をしているのか分からないと見られているにちがいない。

団塊世代のひとりとして、「それでいいのか」という言葉を我が心の内なる声として持ちつづけるのも、あるいはいいことなのかもしれない。
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by 130atm | 2008-01-17 17:00 | その他 | Comments(0)

民草のつぶやき


by 一拙
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