タルティーヌの論理
2008年 01月 21日
女性の小説家の書いたものを読む(最近はめったにない)と、男性が思いも及ばない細やかな感性のヒダが描写されていることに驚くことがあるし、何気なく言葉にしたことに対して、細やかな配慮が足りないと家人から叱責されることもたびたびある。無神経と言えば私はひどく無神経なのだが、これまでずいぶんこれで他人を傷つけていたのだろうと思う。それを想い出すたびに、心のなかでは「悪いことをした、ごめんなさい」と、今でも謝っている。
そんな無神経の私が、まるで気づかない日常の不思議さというか法則について、ある本で初めて知ったものがある。それは「タルティーヌの論理」というものだ。
家人が買い物に外出しようとして玄関を出ると、2回に1回はすぐに戻ってくる。忘れ物と、傘を取りに戻るのだ。何故か不思議に、いつも家人の外出する時を狙っていたかのように雨が降り出すというのである。「天気の意地悪!」と恨み言を言うのだが、こうしたことをフランスでは「タルティーヌの論理」と言うのだそうだ。
タルティーヌというのは、フランス人が好きなバゲットとかいう長いパンを二つに縦割りにしてバターを塗ったもの。朝食に大抵の人が食べる。子どもがお腹が減ったという時にも食べさせる。そうすると子どもは遊んでいて、タルティーヌをもらって、それを地面に落とす。もしバターのついた方が落ちれば泥がつくから食べられない。バゲットの皮は固いから、地面に落ちても、そっち側が落ちたのならちょっと払えば食べられる。フランスの子どもはみんなほとんど例外なく、どうして私がタルティーヌを落とすたびにいつもバターの方が下に落ちるんだろうと言うそうだ。それを「タルティーヌの論理」とフランス人は名づけた。食べられなかった時は悔しい。だからよく覚えている。ところが拾って食べた時はもうそのことは忘れている。だから、子どもが思い出す例はみんなバターが下の場合だけになる、ということなのである。
この論理は、たとえば「占い」の不思議さにも適用できるようだ。外れた時のことは忘れてしまうが、当たった時にはよく記憶していて、誰々の占いはよく当たる、ということになるのではないだろうか。
だから、細〇某や江〇某がペテンだと言われるのも、この論理からすれば至極当然のことなのかもしれない。
「タルティーヌの論理」と似たような言葉が日本にもあるのか、あるいは英語圏にもあるのか私は知らない。この論理に限らず、日常生活において、おかしい、不思議だという現象をよく突きつめて考えてみると、あるいは何らかの法則や論理といったものが発見できるのかもしれない。