そこ退けそこ退け

イージス艦の事故が連日トップニュースで報じられている。
この事故に関する問題は、ふたつある。ひとつは、なぜ事故を回避できなかったかということ。ふたつめは、大臣や首相への事故報告が遅れたことである。

イージス艦「あたご」の見張り員は、事故の12分前に漁船「清徳丸」と見られる船の赤色ライトを確認している。事故の2分前にも緑色の光を確認しているが、その時にはまだ漁船とは思わなかった。
事後になって思うのは、12分前からしかるべき対処をしていれば、きっと事故は起こらなかったということである。その時に対処していなくても、2分前に緑色の光を確認した時点でそれが漁船かもしれないという認識があれば、あるいは事故は回避できたのではないかとも想像される。

ここにおける問題は、おそらく「認識の可能性」ということだろうと思う。誤った認識をしてしまった見張り員はきっと若かったにちがいない。経験豊富な隊員であれば、あるいは危険を予感して、事前に対処できた可能性は高いだろう。「見張りマニュアル」というようなものがあるのかどうか知らないが、多数の船舶が行き交う危険水域に入って来れば、衝突の可能性を拡大して見積もるということが必要になる。それはマニュアルに書かれていて、それを見張り隊員がいかに忠実に実行するか、ということなのではなく、経験豊富な隊員がそれまでどのように指導してきたか、ということにあるのだろうと私は思う。

「失敗学」では、「暗黙知」を生かせということが言われる。その分野に関わっている人なら誰でも考えている無意識での着眼点というものがあり、そこから失敗を防ぐための色々な原理を導き出すことができる。しかし多くの場合、それは文章になることもなく、言葉にして伝えられることもない。だから、この「暗黙知」をあからさまに分かるような形にすること、つまり「形式知」に変えることが重要であるというのだ。
「失敗学」ではまた「勘を働かせる」ことの重要性も強調する。12分前に赤色の光を見た見張り員の「勘」は、まるで働かなかった。それは「たるみ」であるのかもしれないが、「勘」を働かせるだけの経験と指導がなかったとも言えるだろう。
この「失敗学」の法則がそのまま適用できるというのではないが、その応用を考えてみることは重要である。

衝突の直接の責任は見張り員だけのものではなく、危険水域に到ってもなお自動操舵をつづけ、危険を察知した衝突1分前になって手動操舵に切り替わったということも問題になっている。これは護衛艦そのもののシステムの問題であり、海上自衛隊全体のシステムの問題に拘わってくる。

かつての旧日本軍のどのような「操典」にも「要綱」にも、「国民の生命と財産を守る」という条項のなかったことが、戦後になって明らかにされた。それは結局、沖縄の集団自決に於ける軍の関与といったものにつながっている。
若き日の司馬遼太郎は宇都宮の戦車部隊に所属していたが、いよいよ敗戦の空気が濃厚になってきたとき、もし米軍が関東に上陸して来た場合、それを迎え撃つために戦車を走らせなければならないが、道路は避難民であふれかえっているに違いなく、その道路をどうやって戦車を走らせるのかと上官に訊いたという。上官の答は、「轢き殺しても進め」というものであった。そして、「天皇陛下のためだからやむをえない」と付け加えた。そのことに衝撃を受け、それが小説を書こうという契機になったのだと彼は書いている。

今の海上自衛隊には、護衛艦は周囲を睥睨して進むものであり、漁船などは当然護衛艦を回避するものであるという思い上がりがなかったとは言えないのではないか。イージス艦は1500億円かけた最新鋭の護衛艦であり、そこの乗組員は海上自衛隊のエリートであるだろう。そこ退けそこ退けイージス艦が通るぞ、という意識。そこから危険水域での自動操舵ということが出てくるのではないか。
仮に清徳丸側の操船ミスということが出てくることがあっても、それはまた別の問題なのである。

今回の事故で、海上自衛隊内部の風通しの悪さも指摘されている。上意下達ばかりで、上にはものが言えないと聞く。
重大事故発生時には直接防衛相秘書官に報告するという内規が示された「事務次官通達」の存在自体を海上幕僚監部の担当者が知らなかったことが石破大臣や首相への報告の遅れにつながったという。これは、命令が現場担当者に達していないということであり、軍事組織として致命的な失態であって、この一事を以てしても上官の厳重処罰はされなければならない。

事故の真相究明を俟って関係者への処分がどのようになされるのか、私は大きな興味を持っている。
まず「あたご」の艦長は、現場責任者として当然降格か更迭に相当する。その上司を順々に降格か更迭処分にし、それは事務次官の更迭まで進むべきであろう。減給などという生ぬるい処分であってはならない。降格更迭がなされない場合、事故はまた必ずくり返す。石破大臣の引責はそれからのことである。
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by 130atm | 2008-02-21 14:15 | 独断偏見録 | Comments(0)

民草のつぶやき


by 一拙
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